ゴールドライフオンライン 独占連載
『わたる』第29回
最新話公開まで
10月3日(土)22時 公開

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    【前回の記事を読む】出産直後に妻が急変…「大丈夫だから。俺がいるから」と叫ぶと、妻は微かに目を細めた。笑おうとしていた。なぜか涙が出た。

    4

    そのとき、機械の音が変わった。

    医師と看護師が一斉に動いた。渉はドアの外に出された。

    「少し待っていてください」

    ドアが閉まった。

    渉は廊下に立ったまま、動けなかった。でも、足が震えていた。

    どれくらいそうしていたかわからない。やがて、ドアが開いた。

    医師が出てきた。その顔を見た瞬間、渉はすべてを理解した。

    「奥様は……出産直後に右心不全が急激に悪化しまして。肺高血圧症による心不全で……最善を尽くしましたが」

    渉には、その後の言葉が聞こえなかった。

    廊下が、遠くなった。

    5

    千春が死んだ。

    その事実が、渉の頭に入ってくるまでに、時間がかかった。

    医師が何かを説明していた。出産直後に肺動脈圧が急激に上昇し、右心室が限界を超えた。心不全に至るまで、時間がなかった。最善を尽くしたが、間に合わなかった。そういう説明だったと思う。渉はうなずいたが、何も頭に入らなかった。

    医師が去った後、廊下に1人残された。

    壁に背中をつけたまま、そのままずるずると床に座り込んだ。膝を抱えた。病院の廊下の冷たさが、ズボン越しに伝わってきた。

    泣けなかった。

    泣き方がわからなかった。

    泣く場所がなかった。泣く資格がないと思っていた。だからずっと、泣かずに生きてきた。

    でも今は違った。

    (千春)

    心の中で呼んだ。

    「千春」

    気づけば声に出ていた。

    返事はなかった。

    当たり前だ。もう二度と、返ってこない。「渉」と呼んでくれる声も、くすりと笑う声も、夜中に「眠れない」とつぶやく声も、全部消えた。

    渉の目から、涙がこぼれた。

    1粒、2粒。それからは止まらなかった。

    廊下の壁に頭を当てて、声を殺しそうとした。でも、できなかった。ぐ、という声が漏れて、それからは抑えられなかった。病院の廊下で、床に座り込んだまま、渉は泣いた。

    みっともなかった。でも、どうにもできなかった。

    (なんで死んだんだよ)

    (なんで置いていったんだよ)

    千春に向かって、心の中で叫んだ。悲しいのか、苦しいのか、自分でもわからなかった。ただ、胸の中で何かが破裂したような感覚があって、それが涙になって出てくることしか、できなかった。

    どれくらいそうしていたかわからない。

    助産師が来て「赤ちゃんを抱いてあげてください」と言った。

    渉は顔を上げた。目が腫れていた。鼻が詰まっていた。それでも立ち上がって、腕を差し出した。

    赤ちゃんが渡された。

    小さかった。こんなに小さいのに、ちゃんと重かった。

    目が閉じていた。小さな鼻が、かすかに動いていた。生きていた。

    渉は赤ちゃんの顔を見た。

    千春の面影があった。目もとのかたちが、よく似ていた。

    (千春、生きてるよ)

    心の中で言った。

    (この子の中に、千春がいる)

    また涙が出た。今度は声も出なかった。ただ、涙だけがぼろぼろとこぼれた。赤ちゃんの顔に落ちそうになって、渉は顔を背けた。

    続きは、当サイト「ゴールドライフオンライン(GLO)」で限定公開いたします。
    次回更新は10月4日(日)、22時の予定です。
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