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10月3日(土)22時
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【前回の記事を読む】出産直後に妻が急変…「大丈夫だから。俺がいるから」と叫ぶと、妻は微かに目を細めた。笑おうとしていた。なぜか涙が出た。
そのとき、機械の音が変わった。
医師と看護師が一斉に動いた。渉はドアの外に出された。
「少し待っていてください」
ドアが閉まった。
渉は廊下に立ったまま、動けなかった。でも、足が震えていた。
どれくらいそうしていたかわからない。やがて、ドアが開いた。
医師が出てきた。その顔を見た瞬間、渉はすべてを理解した。
「奥様は……出産直後に右心不全が急激に悪化しまして。肺高血圧症による心不全で……最善を尽くしましたが」
渉には、その後の言葉が聞こえなかった。
廊下が、遠くなった。
千春が死んだ。
その事実が、渉の頭に入ってくるまでに、時間がかかった。
医師が何かを説明していた。出産直後に肺動脈圧が急激に上昇し、右心室が限界を超えた。心不全に至るまで、時間がなかった。最善を尽くしたが、間に合わなかった。そういう説明だったと思う。渉はうなずいたが、何も頭に入らなかった。
医師が去った後、廊下に1人残された。
壁に背中をつけたまま、そのままずるずると床に座り込んだ。膝を抱えた。病院の廊下の冷たさが、ズボン越しに伝わってきた。
泣けなかった。
泣き方がわからなかった。
泣く場所がなかった。泣く資格がないと思っていた。だからずっと、泣かずに生きてきた。
でも今は違った。
(千春)
心の中で呼んだ。
「千春」
気づけば声に出ていた。
返事はなかった。
当たり前だ。もう二度と、返ってこない。「渉」と呼んでくれる声も、くすりと笑う声も、夜中に「眠れない」とつぶやく声も、全部消えた。
渉の目から、涙がこぼれた。
1粒、2粒。それからは止まらなかった。
廊下の壁に頭を当てて、声を殺しそうとした。でも、できなかった。ぐ、という声が漏れて、それからは抑えられなかった。病院の廊下で、床に座り込んだまま、渉は泣いた。
みっともなかった。でも、どうにもできなかった。
(なんで死んだんだよ)
(なんで置いていったんだよ)
千春に向かって、心の中で叫んだ。悲しいのか、苦しいのか、自分でもわからなかった。ただ、胸の中で何かが破裂したような感覚があって、それが涙になって出てくることしか、できなかった。
どれくらいそうしていたかわからない。
助産師が来て「赤ちゃんを抱いてあげてください」と言った。
渉は顔を上げた。目が腫れていた。鼻が詰まっていた。それでも立ち上がって、腕を差し出した。
赤ちゃんが渡された。
小さかった。こんなに小さいのに、ちゃんと重かった。
目が閉じていた。小さな鼻が、かすかに動いていた。生きていた。
渉は赤ちゃんの顔を見た。
千春の面影があった。目もとのかたちが、よく似ていた。
(千春、生きてるよ)
心の中で言った。
(この子の中に、千春がいる)
また涙が出た。今度は声も出なかった。ただ、涙だけがぼろぼろとこぼれた。赤ちゃんの顔に落ちそうになって、渉は顔を背けた。
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次回更新は10月4日(日)、22時の予定です。
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